【雑感】人類を何回も破滅させられるほどの核爆弾を保有しながらもなぜ人類は更に核兵器を持とうとするのか。(注:途中で収集つかなくなったので結論はグダグダです。(^_^;)

 まぁ、ぶっちゃけ、こんな重たい議題を説明できるほどの知識は僕にはないわけですが。
 でもまぁ、一介の軍用機愛好家として、「こういうことなんじゃないかな」と思うことは在るので、つらつらと書いてみます。例のごとく思い違いや、誤謬は在ると思いますが、そこは、優しく(ココ大事ね、いつも言っているけど(^_^;)諭していただきたいかなと。

 結論から言うと、2つの理由が考えられます。
 (1)核兵器も進歩していること。
 (2)核物質の処分が簡単じゃないこと。


 一つ目の「核兵器も進歩していること。」
 広島、長崎に落とされた原子爆弾は、爆撃用の飛行機から自然落下させるだけのものでした。
 まぁ、結論から言うと、現代の兵器でこんな生ぬるいことやってる場合じゃない。自然落下するだけの爆弾なんて、いつどこで迎撃されるかわかったもんじゃない。爆弾てのは基本的に目標に信管を命中させて起爆させてなんぼのものですからね。そりゃまぁ、自然落下する爆弾を撃墜しても放射性物質は地上もしくは海上に落下飛散するでしょうが、それでも起爆した時に比べれば被害の度合いは相当少ないと見積もられます。
 なので、早足で言っちゃうと、ICBM(大陸弾道弾)でなきゃ、実質的に役に立たない、らしいんです。地上から放つICBMもありますが、潜水艦から発射させるICBMも有名ですね。もちろん、軍用機から発射させる局地核爆弾もあるんだけど、これだって自然落下なんかさせていない。目標に向かって自発的に飛んでいくミサイル形式になっているわけです。
 途中端折(はしょ)っちゃったけど、広島・長崎の原始的な原子爆弾から、ICBM(多分水素爆弾)に至るまでの間に、いろ~んな核兵器が開発されては、配備されては、時代遅れになっていっているわけなんですよ。まぁ、よくもこれだけ多数の核爆弾を開発しながら、よく広島・長崎以外に実戦で使わなかったもんだな、と、思わず褒めてやりたくなりますが、まぁ、反核主義の方には通じないと思いますけど。(^_^;
 いずれにせよ、兵器が発展していく過程で、否応なく(だって、殺らなきゃ殺られちゃうんですよ?)多数の核兵器が登場するわけですが、新しい核兵器で旧い核物質の使い回しなんてぇ気の利いた事を考える余裕がなかったのは用意に推測できます。だって、旧い核爆弾の核物質では新しい兵器には使用できないんだもん。威力不足とか、容量が大きすぎるとか、性質がいまいち違うとか、色んな問題がありそうなのは、考えてみれば分かるでしょ?。まさか、通常兵器だけ進歩させて、核兵器は進歩させるなとか、そんな殺生なことは言わないよね?。通常兵器だって、常に刷新していなければ、相手に出し抜かれるんですよ?。その流れから核爆弾だけ引き離すことが出来るわけないじゃないですか。なので、まぁ、広島・長崎以来、多数の核爆弾が開発されることと相成りました。そして、ここで、2つめの「理由」がむくむくと頭をもたげてくるんですな。

 二つ目の「核物質の処分が簡単じゃないこと。
 前段の通り、歴史上において多数の核爆弾が開発されました。でまぁ、ほぼ、開発された途端に時代遅れになるというようなことを、特に米ソ冷戦期には繰り返していたわけです。時代遅れになった核兵器は処分しちゃえ、ということになるんですが。まぁ、これが一筋縄ではいかないんじゃないですか?。原発でも、廃棄核燃料をどうすっぺ?、ていって困り果ててるんですよ?。なのですから、あれだ、兵器の形としての核爆弾は処分(分解?)されるかもしれないけど、「核物質」そのものは処分できないんです。でまぁ、ここからは僕の推測なんですが、そんなんだったら、下手に処分/分解するより爆弾の形のまま保管するのがよっぽど安全じゃないですかね?。信管が起爆しなければ良いんだし。多分、信管だけ抜いて保管されているとかじゃぁないですか?。まぁ、それらは事実上戦力にならないので、「人類を何回も破滅させられるほどの核爆弾」とはちょっと違うかもしれないんですけど。うん、多分違うね、あっははは。ここまで書き連ねて、自分の建てた仮設がもろくも崩れてしまいましたわ(笑)。って、笑い事じゃないけど。(^_^;

 なので、もうちょっと考え直して見るんだけど、現有戦力としての核爆弾が、なぜ「人類を何回も破滅させられるほどの量」を持っているか、持たなければならないか、が問題になんだよね?。あえて、ネットで調べたりせずに、自分の持っている知識だけで推定してみますね。
 これはもう、「兵力の多角化」に尽きるんじゃないかなぁ。「人類を何回も破滅させられるほどの量」の核爆弾を持っていることは、必ずしもその爆弾の全てを有効に使用できることとは違うんだよね。いくつも兵力の保険をかけて(なにしろ先に打たれたら、打たれた場所は事実上壊滅してしまうわけで、そこからは反撃できない)、それでも安心できない、ていうのが現実なんじゃないかなぁ。特に米ソ冷戦期には、互いに疑心暗鬼でやっていたからねぇ。
 て、なんか収集つかなくなっちゃったな。(^_^;
 長文乱文読ましといて、最後に「収集付きましぇ~ん!ゆるしてちょ~!」てのも申し訳ないなぁ。ごめんなさいね、本当。(^_^;

 ところで、再三「人類を何回も破滅させられるほどの量」の核爆弾、と書きましたが、コレは必ずしも「地球を壊滅させられる量」の核爆弾ではないんですねぇ。
 広島・長崎に原子爆弾が落とされた時も、それで地形が大きく変わったと言う話は聞かないです。すくなくとも、広島ではそのせいで山が一つなくなったとか、川が一条消えたとか、一切聞いたことないです。まぁ、コレは僕が知らないだけなのかもしれないけど、でもまぁ、広島で反核教育を普通に受けたレベルの人間としては、「そんな事実は知らない」です。
 なのでね、現有の核爆弾で人は何度も全滅するかもしれないけど、地球的にはニキビがツブれたくらいにしか影響ないんじゃないですかね?。もちろん、広島・長崎の時に比べれば、現代の核爆弾は桁違い(比喩ではなくて)に威力が大きいんですけども、端的に言えば水爆の起爆剤は原爆なんですけど、広島・長崎レベルの原子爆弾が、現代の水素爆弾ではたかだか起爆剤程度でしか無い、とか、そういうレベルなわけです。なお、水爆が放射能物質を撒き散らすのは主にこの起爆剤の原爆のせいなんですね。水素爆弾の本領である核融合爆発は放射性物質を事実上必要としていないし、作り出すことも無いんです。(でも中性子線が大量に撒き散らされるので、原爆とは別の意味で危険なのは確かですけど。)
 でも、そう言う現代の核爆弾を試験的に爆発させたことで、(しつこいようですが他者に被害をもたらす目的では長崎に落とされた原子爆弾が最後の核爆弾です。あれから70年以上も実戦に使わずに我慢しているんだから、人類の忍耐力も捨てたもんじゃないかもよ?)、地形が変わったとかいう話は聞かないですよね。北朝鮮が地下で核爆弾の試験をしても、地震計に反応が現れるとか、その程度です。

 なので、人類としては「人類を何回も破滅させられるほどの量」の核爆弾は死活問題かもしれないけど、地球的には、「はぁ?、それで?」みたいな話。もちろん、地上に済む動植物は殲滅させられるかもしれないけど、それで地球が生命の営みを止めることはありません。
 「今後100年は植物も生えない」と言われた広島・長崎は、今、緑に覆われています。広島・長崎で被爆者が産んだ子供には被爆が遺伝したと考えられる障害は一切認められません。もちろん、福島に住んでいる人たちだって、子孫に被爆が遺伝するなんて根拠はどこにもないんです。
 広島・長崎としては、「原爆でこんなひどい目にあった」と言うアピールはもちろん大事なんだけど(諸外国の人々が知らないと言うだけでなく、そもそも日本国内でも広島・長崎の住人以外は多分知らないんだから)、「被爆は遺伝しませんよ、広島・長崎は不毛の地になりませんでしたよ」と言う、当たり前かもしれないけれども、とても重要なことを、アピールする必要性を認識すべき時期に来てるんじゃないかな。

 決して僕は「核爆弾」を許容しているわけではないんだけど、理想を叫ぶだけでは「実現」はないわけで。

 数日前、ツイッターで、「ダイナマイトも最初は「殺人道具!」と非難されたけど、いまは人類になくてはならないものになっている。核エネルギーも絶対そうなるから、核の研究開発を絶対にやめてはならない」と言う発言を見て、強く心を動かされました。僕はどちらかと言うと「核エネルギー推進派」を自認していたのですが、ここまで明快で客観的で説得力のある言葉を初めて見/聞きしました。

 僕のこのブログはグダグダな展開になってしまったけど、せめて、みなさんが「核エネルギー」や「核爆弾」について考察する一助になればなぁ、などと過分な期待をして、この項を終えたいと思います。いやほんとう、長文乱文にお付き合いいただき、ありがとうございました!。m(_ _)m


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 音楽好きの禿オヤジです。戦闘機もすき。♀アイドルも好き。そんな私です。

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