【CD雑感】自作自演に関する一考察 / デイヴィッド・ボウイ / Early On (1964-1966) #DavidBowie #EarlyOn

デイヴィッド・ボウイ / Early On (1964-1966)

Early On (1964-1966) / David Bowie


All songs written by David Bowie except as noted.

1. Liza Jane (Leslie Conn) / Davie Jones with The King Bees (recorded May 1964; A-side single released 5 Jun 1964) 2:18
2. Louie, Louie Go Home (Mark Lindsay, Paul Revere) / Davie Jones with The King Bees (B-side single released 5 Jun 1964) 2:12
3. I Pity The Fool (Deadric Malone) / The Manish Boys (recorded 15 Jan 1965; A-side single released 5 Mar 1965) 2:09
4. Take My Tip / The Manish Boys (B-side single released 5 Mar 1965) 2:15
5. That's Where My Heart Is / Davie Jones (demo recorded May-Jul 1965) 2:28
6. I Want My Baby Back / Davie Jones (demo recorded May-Jul 1965) 2:39
7. Bars Of The County Jail / Davie Jones (demo recorded May-Jul 1965) 2:07
8. You've Got A Habit Of Leaving / Davie Jones with The Lower Third (recorded Jul 1965; A-side single released 20 Aug 1965) 2:31
9. Baby Loves That Way / Davie Jones with The Lower Third (B-side single released 20 Aug 1965) 3:02
10. I'll Follow You / Davie Jones with The Lower Third (recorded Jun-Jul 1965) 2:02
11. Glad I've Got Nobody / Davie Jones with The Lower Third (recorded Jun-Jul 1965) 2:31
12. Can't Help Thinking About Me / David Bowie with The Lower Third (recorded 10 Dec 1965; A-side single released 14 Jan 1966) 2:47
13. And I Say To Myself 2:29 / David Bowie with The Lower Third (recorded Dec 1965; B-side single released 14 Jan 1966) 2:29
14. Do Anything You Say / David Bowie (recorded 7 Mar 1966; A-side single released 1 Apr 1966) 2:31
15. Good Morning Girl / David Bowie (recorded Mar 1966; B-side single released 1 Apr 1966) 2:14
16. I Dig Everything / David Bowie (recorded 5 Jul 1966; A-side single released Aug 1966) 2:44
17. I'm Not Losing Sleep / David Bowie (B-side single released Aug 1966) 2:52

Record Labels: Vocalion Pop (tracks 1-2); Parlophone (tracks 3-4, 8-9); Pye Records (tracks 12-17).

 前回、つまり、先月末、ボウイーの下積み時代の音源を紹介したのですが、早足で紹介したために、ちょっと気になる点で言葉足らずだったと思います。もちろん、「音楽を聴いての感想を書く」と言う僕の日記のスタンスから外れまくるというものではなかったのですが、それでも、ボウイーの初の自作曲の紹介を「4曲目からは早くも自作曲に移行するのですが、かっこよさは変わりありません」とだけしか紹介しなかったことは、心残りでした。その曲がすごく出来が良いとかではなくて(充分にカッコイイとその時の日記ではちゃんと書いていますが)、むしろ、彼を取り巻く状況みたいなものを無視して紹介したことが、ボウイーの立場を見えにくくしてしまったのではないか、と、思うのです。
 まぁ、前置きは良いでしょう。具体的に論考してみようと思います。つまり、ボウイーが自作曲を発表した頃の音楽界では自作自演はどういう状況だったのか。僕は当時ものごころ付いていなかったので、後づけでしか論考できないのではありますが、できる限りやってみましょう。以下の文章は、ボウイー初の自作曲発表が1965年5月5日、シングルのA面としては同年8月20日であることを念頭に置いて読んでもらましょう。

 まず、自作自演をウリにしていた当時のミュージシャンで一番に名前が挙がるのは、やはりビートルズ、と言うことになるのでしょう。もちろん、それ以前のロックン・ロール・オリジネイターたちでも自作自演をしていたミュージシャンは結構いましたが、それは、また、別の機会に譲りましょう。ちょっと論点がボケるので。というか、そこら辺語りだすと止まらなくなりそうで怖い。(^_^; まぁ、ボウイーは英国のミュージシャンなので、同じ英国のビートルズから始めるとしましょう。
 ビートルズが自作曲でさっそうと(でも無かったけど)デビューしたのは1962年10月5日、シングル“ラヴ・ミー・ドゥ”を発表してです。これが、どうしようもないクソミソな曲だったのですが、なぜかプロデューサーのジョージ・マーティンは、発売にOKを出しました。そこら辺の感想は、いずれビートルズを本格的に日記に書くときに、覚えていれば(笑)書くつもりですが、いずれにせよ、“ラヴ・ミー・ドゥ”は、ヒット・チャートの17位という、「新人としてはまずまず」の成績を残しただけでした。
 注目したいのは、この時点で、レノン・マッカートニーには、自作曲のストックが豊富に有ったわけではなかった、ということです。ライヴで人気のあった“アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼア”などは既に出来ていたようですが、なぜかシングルにはなっていません。
 ともあれ、次作の“プリーズ・プリーズ・ミー”を1963年1月11日に発表し、レノン・マッカートニーはソングライターとしての地歩を固めることになります。この曲は、英国で2位まで上がるヒットとなりました。それ以降の快進撃はまたの機会に譲るとしましょう。多分みんな耳タコだろうし。

(参考音源)I Saw Her Standing There / The Beatles (Live At The Star Club In Hamburg Germany1962)



 ビートルズに続けとばかりにいろんなミュージシャンが、うぞうぞと出てきたようですが、いち早く一頭地を抜いたのは、やはりストーンズということになるでしょう。
 ストーンズのデビュー曲はチャック・ベリーのカヴァーで“カム・オン”でした(1963年6月7日発売)。B面は、彼らのバンドの連名として「ナンカー・フェルジ」を名乗っての“アイ・ウォント・トゥー・ビー・ラヴド”なのですが、これはマディ・ウォーターズの曲のまんまパクリなので(というか、もろカヴァーですね)、自作には数えられないでしょう。先行するビートルズは4ヶ月前の3月に自作曲8曲を収録した1stアルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』を発表しています。ストーンズは、そのレノン・マッカートニー提供のセカンド・シングル“彼氏になりたい”を同年11月1日に発表するのですが、そのB面もナンカー・フェルジ名義でした。こちらは一応はオリジナルと言って良いのかもしれないが、よくあるブルーズのリフに乗っけて、ヴォーカルのミック・ジャガーが時折「スト~ンド~(らりってるぜ)」などと唸るだけで、独自性という点では心もとない。“ラヴ・ミー・ドゥ”をクソミソと言いいましたが、こちらは箸にも棒にもかからない、と言ったところか。ビートルズは同年11月22日に、やはりオリジナルを8曲含む2ndアルバム『ウィズ・ザ・ビートルズ』を発表しているので、まぁ、差は広がるばかりと言った感じですね。
 ストーンズが、やっとこさっとこ自作自演と呼べる曲を発表したのは、1stアルバム『ザ・ローリング・ストーンズ』(1964年4月16日発表)の中の一曲、“テル・ミー”ででしょう。彼ら本来の持ち味である黒人音楽の影響をほとんど感じさせないバラードですが、とりあえず佳曲と呼ぶに足るクオリティにはなっています。ここからは端折(はしょ)りますが、彼らがシングルA面で自作曲を出すのは1965年2月26日の“ラスト・タイム”を待たねばなりません。(まぁ、米国では勝手に“テル・ミー”をシングル・カットしたりとかしていたようですが。)その次の“サティスファクション”(1965年6月6日米国発売、英国では遅れて8月20日発売)で初の全米No.1を射止めます。まぁ、彼らもそこまで追えば後の活躍は推して知るべしでしょ。

(I Can't Get No) Satisfaction / The Rolling Stones



 キンクスが“のっぽのサリー”のカヴァーでデビューしたのはストーンズに約一年遅れた1964年2月7日のことです。B面は“アイ・トゥック・マイ・ベイビー・ホーム”で、これは、リーダーのレイ・デイヴィスの自作。なんてことのないポップなロックン・ロールですが、先例から習った後がうかがえる作風となっています。ただし、両面ともちっとも売れませんでした。2ndシングルでは早くもレイの自作の“ユー・スティル・ウォント・ミー ”がA面になっています。1964年4月17日(ストーンズの1stアルバムの翌日だな)に発売されたこの曲は、チャート・インそのものが無かったようですが、曲自体は悪くないです。その次の“ユゥ・リアリィ・ガット・ミー”(1964年8月4日)、これももちろんレイの自作ですが、この曲の大ヒット(英1位、米7位)でブレイクした後の華々しい活躍は、これも言うまでもないでしょう。

You Really Got Me / The Kinks



 ブリティッシュ・ビート・グループ四天王(他のグループはあえて記さない(笑))の一つ、ザ・フーは、デビューから自作でした。その“アイ・キャント・エクス・プレイン”はリーダーのピート・タウンゼントの作で、1965年1月15日に発売、8位まで上がりました。実際には彼らは、この曲の前にハイ・ナンバーズ名義で“ズート・スーツ”と言う曲を出している(1964年のいつ頃かは不明)のですが、全く売れませんでしたし、AB両面ともプロデューサーのピート・ミーデンの作で、ここでの論旨からは外れるのでここではこれ以上言及しません。
 彼らは何と言っても3rdシングルの“マイ・ジェネレイション”(1965年10月29日発売)で、「反逆の若者の代弁者」となり大ブレイクすることになります。これは英国で2位まで上がりました。ですが、米国ではウケが悪かったようで、74位に終わっています。彼らの米国での最大のヒットは“恋のマジックアイ”の9位ですが、これは逆に英国では10位までしか上がっていません。もちろんこれらはすべてピートの自作曲です。

My Generation / The Who



 アニマルズのデビュー曲“ベイビィ・レット・ミー・テイク・ユー・ホーム”(1964年3月(正確な日付は不明)発表)は、伝承曲の改作(クレジット上はバート・ラッセルと言う人とウェス・ファレルと言う人との共作)でしたが、醸(かも)し出されるバンドのサウンドと、卓越したエリック・バードンのヴォーカルで、強烈な独自性を出していました。自作自演なら良いってもんじゃないんだよワトソン君。
 彼らがブレイクした次のシングル“朝日のあたる家”(1964年6月19日発表)も伝承曲で、英米その他でNo.1になっています。途中は端折りますが、もう一つの代表曲“悲しき願い”(1965年1月(正確な日付は不明)発表)は、ジャズ・シンガー(と言うくくりでいいのだろうか)、ニナ・シモンが1964年(月日は不明)に発表した曲のカヴァーで、英3位、米15位まで上がりました。彼らは自作曲も演ってはいましたが、持ち味はカヴァーで発揮されたと見て良いのではないでしょうか。ビートルズが先導した自作自演ブームではありますが、何が何でも自作でなければヒットしない、というわけではなかったようです。

The House Of The Rising Sun / The Animals



 ついでにヤードバーズも挙げておきます。1964年3月のデビュー・シングル“アイ・ウィッシュ・ユー・ウッド”や2ndシングルの“グッドモーニング・リトル・スクール・ガール”はブルーズのカヴァーであり、初のNo.1ヒット(於英国。米国では6位)となった3rdシングルの“フォー・ユア・ラヴ”は、外部ライターのグレアム・グールドマン('70年代に10ccで活躍する)の手になるものでした。グールドマンによる三部作シングルの後、やっと自作自演のシングルを出すのが1966年2月25日の“シェイプス・オブ・シングス”(英3位、米11位)です。アルバム収録曲やシングルB面ではちょこちょこと自作曲を演っていましたが、シングルA面ではこれが初めて。これ以降は彼らも自作自演中心の作風になっていきます。
 黒人音楽の強い影響を受けてデビューした彼らは、そこから独自のサウンドを紡ぎ出していきましたが、最後にはレッド・ツェッペリンを産み落とすことで使命を終えることになります。

Shapes Of Things / The Yardbirds



 ここまで、ボウイーの本国、英国に限って見てきましたが、ここからは駆け足で、米国の状況も見ていきましょう。なぜ駆け足かというと、米国の音楽には疎いからです(笑)。へなちょこだなぁ。(^^ゞ

 この時期の米国の代表的自作自演ミュージシャンと言えば、僕は二組思い浮かびます。

 まずは何と言ってもボブ・ディランでしょう。
 ディランは、おりからのフォーク・ブームに押されて、アルバムでデビューを果たしています。1962年3月19日のことです。(アルバム『ボブ・ディラン』。)
 このアルバムは、カヴァーや伝承曲が多く採り上げられてますが、二曲のオリジナルがあります。“ウディに捧げる歌”、“ニューヨークを語る”。これはビートルズのデビューより半年以上早い。また、同年の暮れの12月14日に、“ゴチャマゼの混乱”と言う自作曲のシングルも出しています(ディランとしては初のシングル)が、バック・バンドを付けたサウンドがイメージにそぐわないとして早々に回収されてしまいました。
 2ndアルバムの『フリー・ホイーリン・ボブ・ディラン』(1963年5月27日発表)では、一曲を除きすべて自作曲となり、何よりも初期の代表曲“風に吹かれて”が収録されたのが重要でしょう(このアルバムには他にも重要な曲はたくさんあるぞ、と言う反論は敢えて受けましょう)。この曲の旋律は伝承曲“ノー・モア・オークション・ブロック”(ディラン自身の『ブートレッグ・シリーズ第1~3集』にも収録)から多くを借りていますが、こうした「素材流用」は初期のディランの常套手段であったらしいです。ですが、そこにとどまらず創造性を発揮したディランは、そのことで自身の偉大さを貶(おとし)められるということはないでしょう。
 “風に吹かれて”はデイラン自身の演奏もシングル・カットされました(1963年8月(正確な日付は不明)。多分ほとんど売れていない)が、むしろピーター・ポール&マリーによるシングル(1963年6月(正確な日付は不明ですが『フリー・ホイーリン』の直後であることは確か))が大ヒット(米ビルボード・ミドルロード・シングルズ・チャートで1位、同Hot 100で2位)したことで、人口に膾炙(かいしゃ)しました。
 ですが、彼の影響力は、ヒット云々よりも(実際彼は自身のNo.1ヒットはない)、深く鋭い部分で同時代のミュージシャンたちに浸透していったのは皆さんご存知の事でしょう。

Blowin' in the Wind / Peter, Paul and Mary



 もう一組思い浮かぶ米国自作自演ミュージシャンと言えば、何と言ってもビーチ・ボーイズ。彼らはシングル“サーフィン”で1961年11月(正確な日付は不明だが、ディランの1stよりもさらに早い)にデビューしましたが、これは、メンバーのブライアン・ウィルソンとマイク・ラヴによる堂々の自作曲でした。(最高位75位。英国での当時の発売は無し。)端折っていきますが(前述の通り、あまり詳しくないのです(^_^;)、彼らは自作のシングルを続けざまに出し、最初のトップテン・ヒットは“サーフィン・U.S.A.”(1963年3月4日発表)で、最高位2位でした。これ以降、自作曲中心で快進撃を進めていきますが、初の全米No.1は1964年の“アイ・ゲット・アラウンド”(5月11日発売)まで待たねばなりませんでした。(もちろんこれも自作曲です。)
 しかし、彼らはここで列挙したミュージシャンたちの中で、最も早くに成功を収めたミュージシャンであった事は強調してもしすぎることはないでしょう。誰だよ、「全てはビートルズから始まった」なんて、たわごと言いやがったのは?。

Surfin' U.S.A. / The Beach Boys



 さて、ミュージシャンの羅列はこのくらいにして(デイヴ・クラーク・ファイヴはどうした、ホリーズだっているぞ、ゼムは?、スモール・フェイセスは?、アメリカにはサイモン&ガーファンクルだっていただろ、と言った声が聞こえそうですが、僕はなんでも知っているわけじゃない(^_^;)、肝心のボウイーですが。こう言った綺羅星の如くのミュージシャン/楽曲と太刀打ちするにはまだ未熟であったことが見て取れます。
 まぁ、後知恵で言っちゃえば、ボウイーは、こう言う、シングル・ヒットで稼ぐタイプのミュージシャンじゃないんですよね~。最初のヒットとなった“スペイス・オディティ”にしても、そのコンセプトというか、世界観みたいなのが面白がられたのであって。代表作の『ジギー・スターダスト』なんかは、「地球に落ちてきた男」と言うコンセプト込みでウケたわけですから。まぁ、こんなこと言うと、「ボウイーには良曲を書く才能がないとでも言うのか」と言われちゃいそうですけど、そう言うんでもなくて。ぶっちゃけ、「わずか3分間のポップ・ソング」でボウイーの真価がわかるわけない、と。まぁ、アルバム・ミュージシャンだったということだよね。と言っても『レッツ・ダンス』あたりから聴き始めた人には、「え、そうなの?」って言われちゃうかもだけど。
 この時期はボウイー自身が未熟だったこともあるし、アルバム主体になるには時代がまだ早すぎた(少なくとも英国では)とも言えるし、それに彼自身、自(みずか)らのシアトリカルな才能に未だ気づいていなかったんじゃないかしら。
 ちらっと名前だけ出したS&Gなんかは、1964年10月にアルバムでデビューしていて(全12曲中自作5曲)、英米の違いはあれど、まぁ、ボウイーの同期といえるんだけど、彼らも、“サウンド・オブ・サイレンス”の電気版「ラッキー・ヒット」が無ければ(1965年9月13日シングル発売、1966年1月1日付け全米1位)、1stが売れないまましぼんでいた可能性もあるわけで。と、これはちょっと蛇足だったかな。

 ボウイーが孤軍奮闘していたこの時期は、ブリティッシュ・ビート・グループが流行っていた時期に当たり、その傾向の楽曲が並んでいることは前の日記にも書きました。他にブルース・ロックや、フォーク・ロックの動きなどもあったのですが、ボウイーはあまりそちらには気が向かなかったようですね。

 やがて、時代はサイケデリックの様相を帯びて来ます。(余談ですが、僕は未だに「サイケデリック」をどう訳せば良いのかわかりません。「幻想的」というのともちょっと違うような気が…。)デッカ傘下のデラム・レコードと契約を結んだボウイーは、1966年の暮れに“ラバー・バンド”と言う曲を発表するのですが…。まぁ、ここから先は、次のボウイー日記のお楽しみとしましょうか。

 今回の日記は、ウィキペディアからの引用をコピペしただけみたいになっちゃいましたが、自作自演のミュージシャンについてそれなりに面白い資料を提示できたという気もします。
 では、今回はこのへんで!。
 
 
 
 
■デイヴィッド・ボウイー追悼日記
2016/10/31Early On (1964-1966)
2016/07/29SOUND + VISION (3CD+CDV)
2016/04/26シングルス・コレクション (2CD)









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初めまして!

初めまして、ローリングウエストと申します。(もしかして2回目訪問かもしれません) 新潟県柏崎生れ川崎市在住の58歳(山好き・旅好き・歴史好き・昭和レトロ好き・洋楽好き)の中年オヤジです。最近、スマホ普及のせいか洋楽ブログをやめちゃう人が多くなり寂しさを感じていたのですが、洋楽への深い考察をされている方を発見してお邪魔させて頂きました!これから色々と勉強させて頂ければよ思います。ちょうど今、フリートウッドマックの1975名曲を公開中ですので是非とも遊びに来られて頂ければ幸いです。
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